我が家のネット設備は
とかなりゼーゼーな状態。Android 端末の Xperia GX については Wi-Fi 接続してもパケットがうまく流れなくて家にいても LTE を使わないといけない状況になってた。なので Nexus 7 が欲しいなと思った時も「あ、でも Wi-Fi 経由接続が……」と思ってブレーキがかかってしまったり。そろそろリプレースしないとねー。
ということで上記の2つをワイヤレスブロードバンドルータ Aterm に乗り換えることにした。まあ実は前から検討はしていたんだけれど、そろそろモデルチェンジかなぁと思って待ってみてたのである。で結局3月27日に新機種が発表されたんだけれど、それが Draft IEEE 802.11ac 対応のフラグシップモデルで目茶高い。 なら普通に IEEE 802.11a/b/g/n 対応 300Mbps で十分かなぁと思って、AtermWR8750N イーサーネットコンバータセットを一度注文したんだけれど、納期が結構先になってしまったので、AtermWR9500N のセットに注文しなおし。
で今週届いたので、今日設置した。
実は今使っている ThinkPad X200 は、買った当時は無駄にオーバースペックな Intel WiFi Link 5300 AGN 選択してたのであった。なので 5GHz 450Mbps 接続できるんだって今頃思い出した。結果的にルータもランクが上の買って良かったね。450Mbps 必要なシーン無さそうだけど。
ちなみにもう1台のノート PC が積んでいるのは Intel WiFi Link 1000 BGN だった。2.4GHz 300Mbps がマックス。
設定完了。
これで
echo 0 > /proc/sys/net/ipv4/tcp_window_scaling
しなくても良いのね。新しいデバイス買ってもいいのね!
2月の Developers Summit 2015 で zakwa 氏と再会したのをきっかけに、当時一緒に仕事をしていた気が置けないソフトウェア開発者4人で同窓会をすることになった。セッティングしてくれた zakwa 氏ありがとう!
手配してくれたお店は「焼きたてパンとワインのお店」COGS DINING KAGURAZAKA。神楽坂から路地に入ったところにあるお店で、上品な味の料理で満足だった。店内もうるさくなくて話しやすかったし、たばこを吸っている人もいなかったので快適だった。
現職のまま続けている1人と、別の場所で働くことになった3人だけれどみなそれぞれソフトウェア開発現場に関わっていて、それぞれの開発スタイルなどについて情報交換したり。
大企業だからしっかりした開発をしているとか、スタートアップだからモダンな開発をしているとかでは必ずしも無いよねという話だった。例えばバージョン管理一つにしてもうまくできていない(やっていない)場合も多いとのこと。当時を振り返ってみると小規模かつ独学の状況ながら、今では普通になってきたプラクティスやツールをその時から実践/活用していたなと自画自賛した。
「書けなくなったホワイトボードマーカーはその場で床に投げ捨て」に共感を持ってもらえていたのが、振り返って当時の自分の一番の成果だな。
退職時に使っていた社内 Wiki は Naney 謹製のものだったのでその後どうなったのかなとたまに気になっていたのだけれど、ビル管理会社の人に社内サーバの電源を切られたことによりサーバごと死んで闇に葬られたらしい。R.I.P.
同窓会らしく「あのひとは今」的な話をしたり、当時フィルムカメラで撮っていた業務風景のアルバムを持ってきて盛り上がったり。あとはレーシックやドライアイ治療ひぇー的な話題が出たり。あとは展示会の時のレクサー・リサーチポロシャツ制作秘話とか。
そういえば出席はできなかった2013年2月開催の「LEXER設立20周年記念サロン・パーティ」で会社のるぐるロゴの立体置物が配られたと聞いて、あ、欲しかったなーと。
妻とのデートで有給休暇をとって横浜開港資料館と横浜赤レンガ倉庫に行ってきた。
横浜開港資料館で開催している「異国の面影 — 横濱外国人居留地1895 — 迷いこんだのは、120年前の地図の中」という企画展のチケットを妻が恩師から頂いたのでそれを見に行くという目的で横浜へ行ってきた。
横浜開港資料館は、山下公園の前の山下公園通りを横浜駅側に少しいったところのクネクネとなっている大さん橋の入り口のところの角にある。中庭にある玉楠の木は教科書でも見たことのあるペリー提督・横浜上陸の図(ハイネ)の右側で茂っている木だと知り驚いた(関東大震災にて焼けたが根から新しく伸びて今の樹になったとのこと)。この辺りにやってきたんだ。
現在の山下町のあの辺りがこのような感じだったのかと思いを馳せながら、外国人居留地の様子の写真や資料の展示をゆっくり楽しんできた。目新しい文化が流れこんできていてさぞかし面白い町だったんだろうなぁ。
1時間以上かけて館内を見てまわり、改めて横浜は魅力的な街だなと再認識。
ランチは横浜開港資料館敷地内にある Au jardin de Perry で。平日だからガラガラでゆっくりお昼と食べることができた。店員さんも1人のみでまわしていたので平日はいつもこれぐらいの空き具合なのかな。穴場。
資料館を見て山下町を巡りたいという願望も出てきたのだけど、しばらく行っていなかった横浜赤レンガ倉庫にも行こうという話をしていたので、お昼の後はそちらへ。2009年6月2日に開園したという象の鼻パークを通ってすぐ。赤レンガ倉庫といえばやっぱり「あぶない刑事」だよねと話しつつ到着。
前回来たのはまだリニューアルオープンよりずっと前。リニューアルオープンしたのが2002年4月12日なので、もしかしたら21世紀になってからきたのはなんと初めてかもしれない。
飲食店ばかりかなと思っていたんだけれど、思ったよりショップが入っていたのでぐるっとひと回り。ついついお土産向けっぽいお菓子を買ってみたりアクセサリーや傘を買ってみたり。デートっぽい。
ひと通り見たあと GRANNY SMITH APPLE PIE & COFFEE でコーヒーブレイク。その後ちょっと時間が余ったので横浜ワールドポーターズをぶらり。
(ペリー提督・横浜上陸の図は「横浜開港資料館 施設案内と「たまくすの木」新館 http://www.kaikou.city.yokohama.jp/guide/」より)
2015年になりますが、いまだに Yahoo! JAPAN ID は持っていませんでした。ID については妥協してそろそろ登録するかということでついに今日登録してみました。 PC から登録したのですが画面がなかなかレトロでサービスの歴史を感じました。
Yahoo! JAPAN ID を使用したサービスは1998年7月から始まっているのですが、2002年頃に「ユーザーのデータベース再構築」ということで Yahoo! JAPAN ID と Yahoo! ID で同じ ID がある場合は一方が変更を迫られるという騒ぎがありました。その後に私は2007年に Flickr のサインインの変更にともない Yahoo! ID を取得したので、好きな ID を Yahoo! JAPAN ID 側では付けられず、また特に困りもしなかったのでズルズルときた訳なのでした。
去年に引き続きデブサミに行ってきました。会場は今年も目黒雅叙園です。目黒雅叙園も1回来れば見慣れてしまいますね。明日は部の合宿があるので今年は1日目だけの参加です。
今回は A 会場と B 会場のトークを聞きました。ほとんど A 会場を選んでいたので Yahoo! JAPAN Tech Confernce に来た感じです。
NTTドコモは相変わらず通信状況が悪いです。SoftBank は OK でした。
Yahoo! JAPAN の紹介。今後いろいろオープンに活動していきたいとのことでした。いいですね。このセッションを含む A 会場の Yahoo! JAPAN Tech Confernce は全て撮影禁止というところに矛盾は感じましたのでそこも今後オープンになっていくと良いのかなと思います。
技術的には後半に Yahoo! JAPAN の認証・承認まわりの変遷の話がありました。2002年頃の Yahoo! JAPAN ID の「ユーザーのデータベース再構築」の件が聞けるのかなと思ったのですが、そこには触れらていなかったのちょっと残念です。
入社2年目という自己紹介のあった石原氏のセッションです。
Elasticsearch と Kibana まわりの話。事例紹介でしたが、具体的なところまでは話されなかったのでフワッと感想トークでした。
IoT をテーマにしていますが、前半はまだまだ IFTTT 的サービス連携の枠におさまっているように見える myThings の話。
後半はそれにまつわる認証など考慮が必要なことの頭出し的な概論でした。 myThings でどうしていくかまで踏み込まれず。
Swift の概論や Objective-C から Swift への移行について、技術的視点・ビジネス的視点でバランスよく語られていてとても良いセッションでした。技術的欲求だけでなくビジネス的なメリットも織り込んでして技術移行することが重要だと話されていました。
Swift にすぐに触れる機会は無いのですが、そんな私でも何かまたプログラムを書きたいなと思わせるわくわくするセッションでした。さすが佐野氏。
ここまで聞いて手を動かしたくなったのと、テーブルレスな宴会場で残り最後までいるのも疲れるなと感じたのとで、あとは聞かずにオフィスに戻りました。
無限バナナ1本食べたかったです。
元日。年末年始休暇6日目。
元日に初詣に行ったら行列だったので参拝せずに帰ってきたという去年の経験があるので、今日は家から出ないでゆっくりしていました。
2002年に始めたので17回目。今年も例年通り撮影完了。年末に買ったチェキでもパチリ。
いつも撮っているところの壁の上に去年エアコンをつけたので、写り込まないようにするのに結構ギリギリなフレーミングを狙わなくてはならなくなっちゃいました。でギリギリ写らないようにできたものの、プリントアウトしたら自分の頭が切れてしまったので「エアコン写っちゃっているけれどプリントアウトで切れないバージョン」を撮り直し。
途中ブランクがあったりするけど、書き始めてからついに20年だ。
個人 Web サイトを作り始めたのが1995年か1996年ぐらい。それから数年経った1999年1月19日にコンピュータ日誌として日付ベースの記事を書き始めた。
当時既に Web 日記を書いている人はいたが、まだ HTML ファイルとして直接書いている人も多かったんじゃないかな。自分は当時マクロプロセッサ m4 を通して静的 Web ページを生成していたので、当初 Web 日誌も m4 マクロで生成していた。
ハイパー日記システムが公開されたのが前年の9月、 tDiary が SourceForge.net に公開されたのは3年後の2002年2月20日であった。その翌年の1月16日にはてなダイアリーベータ版がリリース、さらにその翌年日記機能をもつ mixi がオープンとなる。
そこそこ早い時期から Web 日記 (Web 日誌)を書いていたんじゃないかな。
20年続けて得られたものは以下だな。
一方失ったものは時間。公開している以上、下調べしたり文章を整えたりするのにある程度時間がかかり1週間に数時間は費やしている(1日分で数時間の場合もザラ)。Web 日記を書いていなければ数千時間、他のことができていたであろう。
あ、もちろん無駄な時間だったとは思ってはいない。調べたり考えたり内省したり、日記を書き続けたから今の自分がいるんだよね。
Web 日記は趣味だからね。
[ コンピュータ日誌 ]
Naney (なにい)です。株式会社ミクシィで SNS 事業の部長をしています。
nDiki は1999年1月に始めたコンピュータ日誌を前身とする Naney の Web 日記(兼パーソナルナレッジベース)です。ちょっとしたノートは nNote にあります。
※内容は個人的見解であり所属組織とは関係ありません。