高校1年生に同じクラス(14R)だった日野君・宮崎君と自由が丘のべったこ屋自由が丘店で飲んできました。
3年間同じクラスだった日野君とは2007年に mixi で再会したのをきっかけに自由が丘でたまに会っていてこれが4度目(2007年の時・2009年の時・2013年の時)。宮崎君とは2011年のほぼ同時期に同じ会社に中途入社するという形で偶然再会した仲(「会社に高校1年の時に同じクラスだった友人がいて興奮」)。一緒に飲むのは今日が初めてです。
仕事のスタンスにおいて力を出しきらないタイプの男女差が話題に。ベースは女性の方優秀だと宮崎君。日野くんが「男はアクセルをゆるめ、女はブレーキを踏む」と表現しました。女性がもっと実力を発揮できると良いとしつつも、家庭との両立が大変というもっともな話にまとまりました。
宮崎君のいた 38R はクラス会をやっていないということで、卒業後数回クラス会をやっている 35R の立場で独断と偏見のアドバイス。35R では直近だと2002年に卒業10周年クラス会、2010年クラス会をしています。前回は日野君と会った時にやろうかという話になったのがきっかけでした。
きっかけ作りと名簿作りをする我々のようなポジションの人がまずいて、そういった人間が学生時代から求心力のあった友人らに声をかけて音頭をとってもらうようにすると、いい感じにクラス会をやれるよねという話しになりました。35R の場合はそのあたりが開催できている理由なのかなと。
あとはクラスの中では私が情報系だったこともあって卒業後にメーリングリストを作っていたので、卒業10年でも直接連絡を取れる人がそこそこいたのも良かったのかもしれません(SNS が無かった時代)。
38R のクラス会開催を焚きつけましたが 35R もまたそろそろクラス会をやりたいですね。
今日は自由が丘駅正面口待ち合わせで合流してから裏道に入り、そこで宮崎君が食べログを見ながら店を選びました。そんなこともあって食べログのレビューについても話題になりました。お店側にとっては納得のいかないレビューも多いだろうねという話。そこからレビューは個人の感想で自分たちがそう感じるかどうかは別だよねとなり、では3人で食べログ最低点の店を巡って実際どうだったかチェックしそれをコンテンツ化したら面白いんじゃないかと盛り上がりました。せっかくなので 14R の誰かも誘って4人にするとテーブル的にもいいんじゃないかな。
2カ月後ぐらいを目処に大井町を手始めにやってみようという話になりました。次回は自分が誘うきっかけ担当。楽しくなってきました。
学生時代の友人は代えがたい存在だと改めて感じた夜でした。
渋谷のアートギャラリー道玄坂で一橋大学・津田塾大学写真部 (hit-photo) の写真展が開催されているのでお昼に鑑賞しにいってきました。
フィルム一眼レフカメラで撮ったものからコンパクトデジタルカメラで撮ったものまで、いろいろな作品が混ざっていて飽きない写真展でした。入って左手にあった「道」というモノクロ写真が奥行きがあり一番素敵だなと感じました。
作者名のところに「何年生」かではなく「昭和33年」などと書かれている写真を見つけてあれっと思いました。もしかしてと思って尋ねてみたら OB の方の卒業年とのこと。歴史ある写真部なのですね。びっくりです。
星陵祭(文化祭)を見に母校の日比谷高校に行ってきた。1991年に卒業してから数回しか来ていないし、特に校内に入るのは卒業以来か。星陵祭の時でもないとなかなか入る機会がないので、星陵祭を楽しみつつ青春の日々を思い出して懐かしんできた。
星陵祭は全クラスが教室で劇を上演するのが伝統。自分たちは2年生の時に「そして誰もいなくなった」を、3年生の時に「カサブランカ」をやったんだよね。舞台セットを作ったりクラスメイトのマンションの集会所を借りて練習したり。
今は星陵祭全体レベルで整理券制度が導入されていて近代化を感じた。自分の学年は9クラスあったんだけれど今は全学年8クラスずつなんだね。今日はガッツリ観るというつもりでは来なかったので、劇はパスして部活動の展示をみたり校舎めぐりをしたりして楽しむことにした。
遅刻坂(新坂)を登りきったところにある通用門(正門は校庭の方なのだ)を通ってアーケード下で受付。4月はこのアーケードにクラス分けが張り出されてたんだよね。
もらったパンフレットは品質の良い26ページオールカラーで豪華。
久しぶりに星陵像「星陵われらあり」とご対面したあと校舎玄関を入って2Fへ。左手の階段を降りると1Fのちょっと広いスペースへ。この小ホールの名前はなんだったかな。奥に進むと物理室や生物室などが並んでいる廊下。
理科実験に使った第2化学室(化学探求部)・巨大な元素記号表がある理科ホール・けん玉クラブの時に使った地学室(天文部)・カエルの解剖をやった第2生物室(生物研究会)などを軽く見て回った。懐かしいねえ。
次は3Fへ上がって図書室へ。1年生の時は図書館近くの14Rだったので、ちょくちょく来て新聞・雑誌を見ていたっけ。広くて個人デスクもある図書室に妻はちょっと驚いていた。
漫画文芸部・写真同好会が展示していた3F社会科ホールは当時の記憶がない。エレベーターができていたので改築されたスペースかな。
3F の体育棟への廊下は今日は立入禁止でドアが閉まっていた。
4F へ上がって次は美術室(美術研究部)。ここは変わってないなー。1年生の選択科目は美術だったので美術の時間はここにきていたんだけれど、ほとんどダラダラしていたんだった。きちんと絵画系の作品つくりを選択すれば良かったな。
茶道クラブの時に半年使った作法室(茶道部)を入り口から覗き、ほぼ入ったことのなかった音楽室の前を通って、一般教室が並ぶ廊下を奥まで。そこから外階段へ出た。
上階から外階段とテラスを通って庭へ出られるのも日比谷高校の校舎の面白いところ。雨でなければ外階段から登下校してた。
あとは校庭(砂が白くて綺麗なのになった?)をちょっと回ってから、川田像と再会。講堂が1994年11月に解体されてしまったのはやはり残念。結局体育棟が改修・増築されただけだった。
今日は資料館も開館していたんだけれど靴を脱いでまでという話になって今日はスキップ。いろいろ校舎を見て回れて満足。卒業してからだいぶ立つけれともそれほどくたびれず変わってないなーというところも多かったな。最初校舎に入った時はあれ、こんな構造だったっけとなった時もあったけれど、どんどん記憶が蘇ってきた。
1982年2月8日の火災があり在学中ずっと廃墟だったホテルニュージャパンが無くなり、プルデンシャルタワーになったことで遅刻坂もずいぶん明るい感じになったな。もう一方の側の山王グランドビル(1966年9月竣工)は変わらず。駐車場出入り口近くにあった自動販売機でよくドリンクを買ったっけ。
10年ぶりの高校のクラス会(前回は2010年)の話があがっているというきっかけで日野君から誘っていただき、自由が丘で旧交を温めてきた。声をかけてもらったことに感謝。昨日行ったスキーの土産ということで頂いた長野「雷鳥の里」もありがと。
日野君と会うのは2016年3月以来約4年ぶり。前回はまだフィーチャーフォンだった彼も昨秋ついにスマートフォンにしたとのことで、今回の連絡も Facebook Messenger からだった(最近 Facebook はたまにしか開かなくなったので連絡に気が付くのが遅れて申し訳なく)。
ここ最近お酒を飲まなくなったのでピザなどが食べられるお店なんかいいんじゃないかとお店を探して何軒かまわり、ニューパルビューB1Fの Di PUNTO ディプント 自由が丘店にたどり着いた。今日はそれほど混んでおらず、ゆっくり話せる良い雰囲気のお店だった。テーブルに置かれていた4つのトマト缶は流石にお通しではなくて、プレートの台として使うものだった。
我々の上の年代の卒業生は文集をよく作っているらしい。身近に印刷できるあてがあるということで、クラス会を機会に自分たちも文集を作ってはどうかという話になった。事前に原稿を集めてクラス会で配布というのは慌ただしいから、卒業30年にあたる来年がいいんじゃないかという話で盛り上がった。
文集なんて卒業文集以来の話で、この年で作るなんて何かこう知識階級へ背伸びしているような気恥ずかしさがありつつも満更でもないとも思えてくるのが自分でもおかしく感じた。
Web 日記を20年以上書いている身としては、その時に思っていること感じていることを書いておくのはとてもいい事だと思っているので、文集制作はいい話だと思う。「何十年後かにその文集を誰かが持っていて、当時の人はそんな事を考えていたんだと次の世代が読んでくれることがあれば面白い」という日野君の話いいなあ。
その他いろいろと雑談を。やはり気が置けない友人と話す時間はかけがえないなあ。
『ちゃお』2019年11月号に掲載された『12歳。』最終回をようやく読んだ。連載7年強。続けて読んでいた訳ではなく途中読んでいた時期があるぐらいだけれど終わりだと思うと感慨深い。5年前に初めて買った時からずっと『ちゃお』の顔だったもんなー。
墾田永年私財法のある街。#photography
— Naney (@Naney) February 6, 2021
RICOH GR III #GR #GRIII #GR3 pic.twitter.com/1XHVB3xqWh
おせち料理を食べたあと、我が家伝統の1月1日家族写真撮影をした。もう今年で22回目。 pic.twitter.com/V32eQjDoRY
— Naney (@Naney) January 1, 2023
Naney (なにい) です。株式会社MIXIで SNS 事業の部長をしています。
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