会社で働く社員の心がまえとして、私が機会あるごとに強調してきたことがあります。それは、会社で月給をもらって働いているといういわゆるサラリーマンとしての考え方をもう一歩飛躍させて、自分は社員としての仕事を独立して営んでいる事業主だと考えたらどうか、ということです。-- 社員心得帖 p.64
4月から新入社員も入って、まあ指導というほどではないにしても「ちょっとは格好良いことを言えるように」なっておかないと、というよりも「自分のスタンスを再確認しておかないと」と感じるわけである。
自分が新入社員として入った時には特に心得などというものも考えずにきてしまったから、ここで振り返ってみるのも悪くない。 ということで松下幸之助氏の「社員心得帖」を読んでみた。
松下幸之助氏の著書は初めてである。 特に先入観無しのはじめての松下本。
本書は
という構成でどのポジションの人にも考えさせられる事ががつまっている。
(もちろん個人はないがしろにされているわけではなくて、かなり尊重されているけれども)やはり会社という視点からみた心得的な印象があり、人によって好き嫌いはわかれるところはあると思う。
昨今の起業家の話に比べるとかなり保守的であり、一見「大会社の中でのサラリーマンの生き方の教え」向きである。
しかしながらその話の多くは至極もっともであり、基本的な心構えとして押さえておきたい点もかなり多い。 それが松下幸之助氏長年のビジネスの中で築かれたのであろう「非常に物腰の柔らかな、それでいて人を動かす魅力のある文体」でまさに語りかけてくるように書かれているのだから、心に響いてくる。 そこには若手経営者にはない貫禄や含蓄がある。
私から自分の後輩に「社員ていうのはこうあるベキなのだよ」と必読書指定するほどではないけれど、「読んでみると得るものがあるはずだよ」とは言える一冊である。
後輩がはいってきた人も読んでみると面白いであろう。
[ 読書ノート ]
本屋で探していた本が無かったので、タイトルに魅かれて買ったのがコレ。 プランニングという言葉について(本書の狙いとは)違うイメージと期待を持って読んだため、「パッとしないと感じ」というのが読んだ仮想。
自分の仕事がら、プランニングというと「計画」的な意味合いをイメージしてしまうんだけれど、こちらは「企画」の方の話なんだよね。 読み終わってから、表紙のタイトルの横に「企画ハック!」と書いているのに気がついたよ。
ということで本書はプロジェクトの計画のハックではなくて、企画のハック本。内容は
「プランニング・システムとアイデアの二段階抽出法を使えば、誰でも優れた企画が量産できるよ」-- p.40
に集約されている。 企画のために普段から準備しておくというのはごく自然な発想だが、なかなかできていないことなのでこのようにあらためて気付かされるというのは良い。 本書では「準備」と「アウトプット」の2段階を基本軸に仕事術を展開している。
発想法については何でも「二段階抽出法」に結びつけているののがちょっと違和感があった。 本書ではそのテーマにきちんと絞っているといえばそうなのかもしれないが、やはり「それだけ?」と思えてしまう。
本書では、企画を考え出し続けるのに必要なテクニックが紹介されている。 どう違うかと問われると困るが、本書に書かれているのは「ハック」ではなく「テクニック」というかそういうような感じがする。
いわゆる Life Hacks 系で言うところのハックとは香りが違う気がするのはなぜだろう。文体からだろうか。 本書自体が、パワポスライド的なテイストだからかもしれない。
プランナーとして、日々アイデアを出してプレゼンテーションをする人向けの1冊。
[ 読書ノート ]
今まで Web 日記(nDiki・mixi日記)は常体(普通体)で書いていましたが、敬体(丁寧体)で書いてみることにしました。見出しや箇条書きなど簡潔な方が良い部分は引き続き常体も併用します。
あとはソーシャルメディアでのつぶやきも適宜敬体にしてみるつもりです。
Web 日記は他人に向けていない文章という体で書いてきていたので、基本的に常体で書いてきていました。しかしたまには相手を意識して書く部分があったりして、その時その部分だけ敬体で書いたりすることもありました。ただ書いていてこの不統一感が以前からは気持ち悪いなとも感じていました。
普段から敬体で書いておけば文体の切り替えが必要無く、無駄に迷わなくて良いなと考えています。
また常体の方が強い印象なので主張感があるのですが、いろいろな記事や本を読んでいると敬体でやわらかい印象の中にある主張や提案の方が、すんなり受け入れやすいように私は感じます。敬体の方が人を動かす力があるような気がしてきていました。
そういうことも常体で書いてみようと思った点です。
とはいえ、普段常体で書いていたものを敬体で書くのは慣れるまでなかなか気持ちが悪いです(これを書いていてもそう感じています)。
[ nDiki スタイルガイド ]
以前株式会社ミクシィで広報だった方が「新しい文章力の教室 苦手を得意に変えるナタリー式トレーニング」という本を Facebook で薦めていたので読んでみました。
文章を書く準備段階の「構造を考える方法」、そして「読みやすく分かりやすい文章に仕上げていく方法」が本書で解説されています。
第1章では「構造シート (p.34)」を使って「テーマ」と「話題」を決めていくやり方を説明しています。「話題」を箇条書きで列挙し、それを眺めて「テーマ」を決定する。次に「話題」の順番を考えて左に数字を書く。そして番号順に「話題」を並べ替えたあと「話題」の右側に3段階の優先度を ABC を書くという流れでまとめていく方法です(このあと「話題」の取捨選択がきます)。
きちんとアウトラインを決めるべきと思いつつも、上からざっと書いていって質の低い文章を書きがちなのでこれは実践していきたいです。
続く2章以降では基本的な文の構造の正しさの話から文末のバリエーションや漢字と平仮名のバランスなどの読みやすさの話まで網羅的に説明されています。個別には文章術などのコラムなどでみかけたりしますが、こうしてまとまっていると振り返って参照しやすく助かります。ここはチェックシート化して普段からチェックしたいところです。
例えば「することができる」などの「翻訳文体」はつい書いてしまいがちなので、これを機会に意識していくことにします。
「日本語の作文技術」で学んで推敲の際にはよく基準にしている「係り受けの距離を近づける」「修飾語句は大きく長い順に」もきちんと説明されていますので、これから日本語の書き方について本を推薦するなら本書が良いと感じました。
お薦めの1冊です。
Web 日記(nDiki・mixi日記)の文体を常体(普通体)から敬体(丁寧体)に変えて1年経ちました(文体を常体から敬体に)。
常体で書くと文章そのものがやわらかい印象になるのですがこれは文体だけのせいではなく、書いている途中の気持ち自体がやわらかくなるというのも大きいなというのが、この1年で感じたところです。Web 日記については引き続き敬体で書いていこうと思います。
一方あわせて基本敬体にしてみたソーシャルメディアでのつぶやきですが、こちらはやはり敬体ではかしこまりすぎてその時の気持ちの表現とは合わないなぁと感じることが多かったです。敬体では話しかけるような感じになってしまうので、つぶやきらしくなくなり窮屈さがありました。
常体のつぶやきへのコメントに敬体で返信するのは慌てて姿勢を正すような感じがして少し気恥ずかしく、いつも敬体で書くとそういうことが無くていいなというのがありますが、ちょっと気にしすぎですね。
つぶやきは無理に体を揃えず、投稿ごとに敬体・常体を使い分けるのがやはり自然です。今日から元に戻すことにします。
[ Naney のスタイルガイド ]
神奈川近代文学館で開催されている企画展「角野栄子『魔女の宅急便』展—魔女とおばけと—」に今週行ってこようと思っています。せっかく行くのだからと『魔女の宅急便』を読んでみることにしました。
最初、読み慣れない文体な感じがしてちょっとおやっと思ったのだけれど、気が付いたらその文体が醸し出す世界観にすーっと惹き込まれていきました。アニメ映画の魔女の宅急便の記憶がやはり強烈で、最初はアニメとの差分を追いかける感じにどうしてもなってしまっていたのですが、途中からはこの原作こそが魔女の宅急便の世界なのだと思えるようになってきました。
キキの少女らしい繊細な気持ちと成長を通しての心の変化の描写は、小説ならではの良さがありますね。心温まるストーリーです。原作はその6まであり、このあとどうキキがどう変わっていくのか、先が気になって仕方ありません。
[ 読書ノート ]
2015年の夏に Web 日記(nDiki・mixi日記)の文体を常体から敬体にしてから3年経った。また常体の戻そうと思う。
敬体で書いているとやはり「読んでくれる人向け」の文章を書くようになってしまうというのが理由の一つである。もちろん公開している文章なので読まれる想定できちんと書くようにはしているけれども、それに加えて敬体で書いていると無意識のうちにちょっといい子ちゃん的な当たり障りの無い内容にしてしまっている気がする。常体で書いていた頃の方がもうちょっとストレートに書けていたではないか。
日記なのだからもっと自由に書こう。そう思えてきた。
Web 日記を敬体で書くルールにしていると、常体で書いている「気がついたことや考えたことのノート」「プライベートの日記」「Tweet」からもってきてまとめる時に都度文体の変更が必要になる。これが地味に手間だったりする。
それから敬体は文末表現が単調になってしまいがちなので意識して変えていってあげる必要があって、これもどう書くか悩んで時間がかかる。
ここ最近日記を書くのを溜めてしまがちなので、少しでもさっと書けるようにしていきたい。
ということで基本 Web 日記の文体は常体に戻すことにした。この文章を書き始める時はまだ頭が敬体モードで「常体で書くのキモっ」ってなったけれども書いているうちにすぐ気にならなくなった。常体から敬体の時はもっと気持ち悪いのが続いていた気がする。
敬体の方が人を動かす力があるというのは今も思っているところなので敬体で全く書かないということもなくて、読み手を想定したものは敬体でと使い分けでいいかな。
[ nDiki スタイルガイド ]
「天気の子」展を観に行く前にこの土日で『小説 天気の子』を読み切った(1カ月以上前に買っていたのだ)。
新海誠監督自身が執筆した小説で、かつアレンジ無く映画と同じ内容(あとがきでそう書かれている)なので「なんか違う」といったことが一切無いのが嬉しい。
また映画では直接言葉で表現されていない心理描写も小説では書き下されていて、しっかりうかがい知ることができて楽しい。細かいところで「そうだったのか」と理解が深まり満足度高かった。
読み始めは、読み慣れない癖のある文体に感じられたけれど、それも途中から慣れて気にならなくなった。
あと p.112 に mixi が出てきてちょっと嬉しくなった。
ずっと一緒にやってる趣味友がいてね、それこそmixiの時代から。
[ 読書ノート ]
昨日アカウントを作って使い始めて2日目。GPT-4 の前の世代の GPT-3.5 系でちょこちょこっと使ってみた程度なので、強い意見はなく現時点での雑感をメモ。
よく知られている概念の概説をナレッジベースに書く際に ChatGPT で文章を生成させてみると、なるほどこんなポイントをこんな言い回しで説明すればいいのかと結構参考にできた。
mixi日記の代筆をさせることはできるのかなと昨日試したところ、読みやすいが明らかに自分ではない誰かが書いた文章が生成された。
※ なお OpenAI の利用規約上、サービスがアウトプットしたものが human-generated だと言ってはいけない。
将来的に、自分が書いたものを学習させていけば自分と同じ文体の文章を生成できるようになるのだろう (今でもプロンプトを工夫すれば似せられる?)。しかし自分自身 Web 日記で読みたいのは本人が書いたものだよなあというのがあるので、自分で書くより良い文章が生成されるとしても日記代筆は禁忌だなと。なお、ボットがコンテンツ生成すること自体には否定的ではない。
ネットで話題になっているチャットボットが人の仕事を奪うかどうかというセンセーショナルなテーマについては今のところ静観したい。
Naney (なにい) です。株式会社MIXIで SNS 事業の部長をしています。
※本サイトの内容は個人的見解であり所属組織とは関係ありません。