東京都立日比谷高等学校(日比谷高校)の文化祭。
この間同級生の日野氏と話していて(記事)盛り上がった話題が「青陵祭のノリで!」という話。
星陵祭は母校の文化祭。うちの高校では合唱祭と並んで学生が異常に力をいれるイベントだ。受験を控えているというのに、夏前から企画を始めて、夏休みも頻繁に登校して準備・練習。配送待ちが惜しくて舞台セットに使う畳のような板を渋谷の東急ハンズから赤坂見附の学校まで延々歩いて運んだり。夜もマンションの集会所を借りて演劇の練習したり。
ちょっとダラけつつも、たくさんのエネルギーと時間を費やして青陵祭に取り組んだ。やったからって直接なにがあるというわけでもないんだけれど、やっているだけで楽しかった。いや振り返りで美化されている部分もあるだろうけど。
でうちの卒業生だったら、何かに情熱的に取り組まなければならないとき「星陵祭のノリで」といったら通じそうなんだよね。 ポジティブにチームでプロジェクトを進めていくイメージと感情を「星陵祭のノリで」で蘇えらせることができる。 打算ない行動力を生みだしてくれる言葉だよ、これ。
他の出身の人も文化祭に燃えた経験があるならば「○○祭のノリで」っていけてるメッセージになるんじゃない?
子供時代(1972年〜1987年頃)を過ごした港区の浜松町・海岸で当時の風景を探してみようと散歩してみた港区海岸編。
浜松町駅北口を出てすぐの道を右へ進みます。
旧芝離宮恩賜庭園の前にある公園です。ブランコは当時と変わらず。ジャングルジムもたしか以前からこれでした。水を汲み運んで山を作ったりした東側にあった砂場は無くなっています(2003年にきた時には既に無くなっています)。
子供のころ雪が降った時にこの公園にきてミニかまくらを作ろうとしたりしたんですよね。
海岸通りと交わる芝商業高校前交差点を過ぎてしばらくいくと左側にある白いビル。ここも健在。このビルには丸善丸善雄松堂株式会社(旧丸善株式会社)の本社が入っています。 1F に「フィッシング竹芝」とう釣具屋が昔ありましたが、今は無くなっています。
道路を挟んだ向かい側の東京都立産業貿易センター浜松町館や東京都計量検定所などがあった一帯は大規模な再開発が進んでいる最中で建物などは無くなっていました。
国際浜松町ビルの少し先にあるマンション。友人宅でテレビゲームを遊んだ記憶が蘇りました。
特にゆかりはないですが、竹芝の風景の一つのマンションです。
東京都港湾局の築地地区で、この先に汐留川水門(1969年竣工)・浜離宮排水機場(1970年竣工)・築地川水門(1969年竣工)があります。汐留川水門横に流線型のポンプができていて驚きました。
左側の建物は東京都観光汽船の係船場のもの。この建物も年季が入ってます。
ここに来る途中の道の北西側には「JR東日本浜松町社宅(東京都港区海岸1-10-29)」や「シーサイドホテル芝弥生(旧芝弥生会館・東京都港区海岸1-10-27)」があったのですが、竹芝ウォーターフロント開発計画のため既に取り壊されていました。
JR東日本浜松町社宅には小学校・中学校・高校と一緒だった友人が住んでいました。高校の時はここの集会所を借りて星陵祭(文化祭)の練習をしたんですよね。懐かしいです。
[ 撮り歩き ]
星陵祭(文化祭)を見に母校の日比谷高校に行ってきた。1991年に卒業してから数回しか来ていないし、特に校内に入るのは卒業以来か。星陵祭の時でもないとなかなか入る機会がないので、星陵祭を楽しみつつ青春の日々を思い出して懐かしんできた。
星陵祭は全クラスが教室で劇を上演するのが伝統。自分たちは2年生の時に「そして誰もいなくなった」を、3年生の時に「カサブランカ」をやったんだよね。舞台セットを作ったりクラスメイトのマンションの集会所を借りて練習したり。
今は星陵祭全体レベルで整理券制度が導入されていて近代化を感じた。自分の学年は9クラスあったんだけれど今は全学年8クラスずつなんだね。今日はガッツリ観るというつもりでは来なかったので、劇はパスして部活動の展示をみたり校舎めぐりをしたりして楽しむことにした。
遅刻坂(新坂)を登りきったところにある通用門(正門は校庭の方なのだ)を通ってアーケード下で受付。4月はこのアーケードにクラス分けが張り出されてたんだよね。
もらったパンフレットは品質の良い26ページオールカラーで豪華。
久しぶりに星陵像「星陵われらあり」とご対面したあと校舎玄関を入って2Fへ。左手の階段を降りると1Fのちょっと広いスペースへ。この小ホールの名前はなんだったかな。奥に進むと物理室や生物室などが並んでいる廊下。
理科実験に使った第2化学室(化学探求部)・巨大な元素記号表がある理科ホール・けん玉クラブの時に使った地学室(天文部)・カエルの解剖をやった第2生物室(生物研究会)などを軽く見て回った。懐かしいねえ。
次は3Fへ上がって図書室へ。1年生の時は図書館近くの14Rだったので、ちょくちょく来て新聞・雑誌を見ていたっけ。広くて個人デスクもある図書室に妻はちょっと驚いていた。
漫画文芸部・写真同好会が展示していた3F社会科ホールは当時の記憶がない。エレベーターができていたので改築されたスペースかな。
3F の体育棟への廊下は今日は立入禁止でドアが閉まっていた。
4F へ上がって次は美術室(美術研究部)。ここは変わってないなー。1年生の選択科目は美術だったので美術の時間はここにきていたんだけれど、ほとんどダラダラしていたんだった。きちんと絵画系の作品つくりを選択すれば良かったな。
茶道クラブの時に半年使った作法室(茶道部)を入り口から覗き、ほぼ入ったことのなかった音楽室の前を通って、一般教室が並ぶ廊下を奥まで。そこから外階段へ出た。
上階から外階段とテラスを通って庭へ出られるのも日比谷高校の校舎の面白いところ。雨でなければ外階段から登下校してた。
あとは校庭(砂が白くて綺麗なのになった?)をちょっと回ってから、川田像と再会。講堂が1994年11月に解体されてしまったのはやはり残念。結局体育棟が改修・増築されただけだった。
今日は資料館も開館していたんだけれど靴を脱いでまでという話になって今日はスキップ。いろいろ校舎を見て回れて満足。卒業してからだいぶ立つけれともそれほどくたびれず変わってないなーというところも多かったな。最初校舎に入った時はあれ、こんな構造だったっけとなった時もあったけれど、どんどん記憶が蘇ってきた。
1982年2月8日の火災があり在学中ずっと廃墟だったホテルニュージャパンが無くなり、プルデンシャルタワーになったことで遅刻坂もずいぶん明るい感じになったな。もう一方の側の山王グランドビル(1966年9月竣工)は変わらず。駐車場出入り口近くにあった自動販売機でよくドリンクを買ったっけ。
Naney (なにい) です。株式会社MIXIで SNS 事業の部長をしています。
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