スーパーに買い出しにきていたら 14:46 に店内放送があり黙祷しますとのこと。唐突で震災の何に黙祷するのだろうかと思いを巡らせている間にあっという間に黙祷タイムは終了しました。
いつもは日曜日の朝に観ているポプテピピックは、今日は夜に。火曜サスペンス劇場とか土曜ワイド劇場とか最後に観たのいつかなと。
朝食はリッチモンドホテル仙台1Fロイヤルホストのバイキングで。繁忙期だからか45分とかなり短めの時間制限でちょっと忙しなかった。あっという間の45分。コーヒーは部屋へお持ち帰りで。
チェックアウトしたあと迷わずバスに乗れるよう停留所の確認がてら、ホテルを出て散歩。近くに仙台のオフィスがあるのでビルの前まで行ってみた。ホテルからすぐだね。平日だった昨日に時間があれば立ち寄ってもと思っていたのだけれどちょっと時間が取れなかった。またの機会におじゃましよう。
チェックアウトも機械でサクッと。
ホテル近くの停留所に4分遅れでやってきたバスに乗車し定禅寺通へ。緑の生い茂る綺麗な通りだ。
まずはせんだいメディアテークへ。「第21回加川広重巨大水彩展 巨大画で描かれる東日本大震災5・気仙沼」開催中。巨大な絵が展示されていた。1Fのミュージアムショップ「KANEIRI Museum Shop 6」で雑貨を見たあと、近くのアート雑貨店 dia へ。様々な作家の作品が取り揃えられている小さな雑貨屋さん。作家をフィーチャーしているタイプというよりは商品陳列メインのお店だったかな。
お店を出たあと近くのローソンでジュースを買い、定禅寺通の木漏れ日の下のベンチで休憩したあと勾当台公園駅から地下鉄にのって仙台駅前へ。
お昼はアーケード街でお店を探してみたんだけれどこれといった感じのお店がみつからず、結局すき家に。この先、しばらくファストフード店の無い町に行くからこれはこれでいいかなと。
ご飯を食べたら最後にS-PAL仙台。2F で萩の次を買ったあと地下の「仙臺みやげ館」へ。キーホルダーとかそういう雑貨がいろいろあるお店が以外と少なくてちょっと残念。
13:54 仙台駅発のはやぶさで盛岡まで39分。仙台から盛岡まではあっという間。盛岡駅西口からみちのく号に乗って鹿角花輪駅前へ。
2010年12月3日〜12月5日に来て以来なので実に7年半以上ぶりなんだけれど、雰囲気は変わってないねえ(妻は2011年・2013年・2016年にも帰省)。
妻の実家に到着して一息したあと、カメラをもってぶらりと散歩へ。歩いている人がほとんどいなくて静か。東京とは違ってゆっくり写真が撮れてそれはそれで楽しい。
今晩は、きりたんぽを作ってふるまっていただいた。感謝。家庭料理としてのきりたんぽ鍋、何度食べても美味しい。
明日からの花輪ばやしが楽しみ楽しみ。
今日は有給休暇をとったので妻と映画デート。「マイ・ブックショップ」をシネスイッチ銀座で観たあと銀座をブラブラしてきた。
朝はちょっと大粒めのお天気雨。映画館に着くまでは降っていた(映画を観終わったら止んでいた)。シネスイッチ銀座で映画を観たあとは、ロッテリア 銀座クリスタルビル店でランチ。ファストフードにしてはちょっとお高めだったかな。空いてた。
そのあと東急プラザ銀座の HANDS EXPO、GINZA SIX の蔦屋書店、教文館 & 教文館 ナルニア国へ。
あとは帰る前に KEYUCA 銀座店をのぞこうかと西銀座デパートへ向かい信号待ちをしていたら、銀座教会の鐘が周囲に響き渡った。14:46。東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から8年か。
KEYUCA をみ、マツモトキヨシ 有楽町イトシアプラザ店で歯磨き粉を買って今日のデートはおしまい。
昨日もらったサクランボを食べていたところ、ぐらぐらとちょっと揺れた。またいつもの地震かなぁと思っていたのだけれど、最大震度6強のなかなかの地震だった(済んでいるところは震度1だった)。
因果関係があるかはわからないけれど、しばらく Twitter の画像が一部表示されない状態になっているのをみて、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)を思い出した。電話がつながりにくい状況の中、連絡手段・情報手段として Twitter への関心が世の中で高まったんだよなあ。
当時より広く使われるようになった Twitter が今度は災害の時に使えなくなる側になる未来があるのかもしれない。
今回の障害の原因がアクセス集中のせいかはわからないけど、そんなことを考えていた。
2011年4月16日に株式会社ミクシィに登録してから9年が経った(mixi は2004年11月19日に登録してから約15年5カ月経過)。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震/東日本大震災のあと、電力不足の懸念からいたるところで照明が減らされ当時の東京はまさに暗かった。食料品は品薄だった。水道水に少し不安を感じた。入社したのは地震発生から1カ月と少しの頃で、社会が変わり仕事も変わった。しかしいつの間にか東京の夜にも明るさが戻り、いつしか新しい仕事と生活はそれが日常となった。
それから9年。
中国の湖北省武漢市での原因不明の肺炎が新型コロナウイルスによるものだと分かったのが2020年1月7日、同1月16日に国内でも感染者が確認された。日本政府のチャーター機による帰国、ダイヤモンド・プリンセス号での集団感染などがニュースとなる中、2月中旬頃からだんだん危機感が高まる。そして2月27日に休校要請が出されてから社会の不安も急拡大していった。
3月4日に在宅勤務のトライアルをし、その4週間弱後の3月30日からリモートワーク推奨(4月8日(水)からは原則リモートワーク)となった。今、在宅勤務の日々が続いている。
今はどう働くかに多くの注意を払っている状況でそれは致し方ないところだけれども、より事業/プロダクトそのものにまた注力していけるようにしていきたいところである。
「激動の10年が始まった」と感じた2011年から10年を待たずに、新しい激動が始まったのだと最近強く感じている。身近なところではリモートワーク導入の波が加速して働き方の多様性が増えていくだろう。人と人との接触をなるべく避け外出を自粛する必要が長く続けば、誰もが想像している通り社会のニーズが変わりルールもビジネスも変わっていくだろう。
仕事が変わり、社会が変わり、そしてまたそれが日常になっていく。やることをやっていくだけだ。世界が変わっていくのを仕事を通じて楽しんでいきたい。
新型コロナウイルス特別措置法に基づく緊急事態宣言について、東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県・北海道で解除された。これで全都道府県の宣言が解除された。4月7日に発出されたのち5月4日に5月31日まで延長されていたが、5月末を待たずに解除となった。
外出自粛や休業要請の緩和、学校再開などが段階的に進むことになるので素直に嬉しい。
東北地方太平洋沖地震/東日本大震災のあと、電力不足の懸念からいたるところで照明が減らされ当時の東京はまさに暗かった。食料品は品薄だった。水道水に少し不安を感じた。しかしいつの間にか東京の夜にも明るさが戻り、節電ムードも消えていった。今までの日常が戻った。
政府が感染対策で求めている行動について「新しい生活様式」と呼んでいることに違和感があるのは、それが恒久的に定着するものではないという感覚が自分の中にあるからだろう。価値観から生まれたものではなく所与されたものが「ライフスタイル」と呼ばれるものになるとはあまり思えないな。
Good morning!#photography
— Naney (@Naney) March 16, 2022
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Naney (なにい)です。株式会社ミクシィで SNS 事業の部長をしています。
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