今日は高校のクラス会。 卒業10周年ということで、幹事ががんばってくれて、今までになく大勢参加するクラス会になった。
一次会の前に、ビデオ上映会をやるとのことで星陵会館へ。 メーリングリストでは、17:00 集合となっていたはずなのだが幹事はこない。 17:30 からと聞いている人もいたのだが、さてやはりそうであった。
うちのクラスは合唱祭やら体育祭やら遠足やらのビデオが案外残っていて、それを流す。懐かしい気もするけど、なぜかついこの間のような気もするのはまだ記憶が薄れていないということか?
宴会は赤坂見附の月の雫にて。 結構洒落た感じの和風のお店で、豆冨料理が中心のメニュー。
幹事の挨拶、先生の言葉の後乾杯。 さすがに高校時代に渋谷で打ち上げで飲んだ時(いいのか?)よりはみな、しっかりとした感じ。 まぁクラスタリングは高校の時と同じだね(自分も含めて)。
座敷は21:00までだったんだけど、それほど混んでなかったのか21:30ぐらいまではゆっりさせてもらえて、その後一次会おひらき。
お店を出てエレベータホールの前で集合写真を撮って1次会解散。 私はここで退散。 2次会の様子はだれか教えてくださいな。
今日は仕事で赤坂見附に出掛けた。
赤坂見附は高校の時に銀座線で通っていた駅である。 当時はまだ溜池山王駅はなく、室内灯が途中消えるポイントがあり、まだ車両は冷房が導入されていなかった。
赤坂見附駅では銀座線は行き先に応じて階が別になっている。 浅草方面は下の階。
新橋駅で乗り換える際、階段の前で降りられるように赤坂見附ホームにはお気に入りのポジションがあった。
それが「ゴハンニハクサイ」。
線路の向こうの壁にある広告がこの乗車位置の目印だったのだが、その広告の中の電話番号の上に「ゴハンニハクサイ」と書かれていたのである。 ああ、なんと甘美な響き。 イマジネーション溢れる語呂。
1991年、東京の市内局番が4ケタ化された際に一番気になったのがこの看板。
「サーゴハンニハクサイ」!
(感涙)
今はもうこの看板を見ることができないのが残念である。
この間同級生の日野氏と話していて(記事)盛り上がった話題が「青陵祭のノリで!」という話。
星陵祭は母校の文化祭。うちの高校では合唱祭と並んで学生が異常に力をいれるイベントだ。受験を控えているというのに、夏前から企画を始めて、夏休みも頻繁に登校して準備・練習。配送待ちが惜しくて舞台セットに使う畳のような板を渋谷の東急ハンズから赤坂見附の学校まで延々歩いて運んだり。夜もマンションの集会所を借りて演劇の練習したり。
ちょっとダラけつつも、たくさんのエネルギーと時間を費やして青陵祭に取り組んだ。やったからって直接なにがあるというわけでもないんだけれど、やっているだけで楽しかった。いや振り返りで美化されている部分もあるだろうけど。
でうちの卒業生だったら、何かに情熱的に取り組まなければならないとき「星陵祭のノリで」といったら通じそうなんだよね。 ポジティブにチームでプロジェクトを進めていくイメージと感情を「星陵祭のノリで」で蘇えらせることができる。 打算ない行動力を生みだしてくれる言葉だよ、これ。
他の出身の人も文化祭に燃えた経験があるならば「○○祭のノリで」っていけてるメッセージになるんじゃない?
昨年9月に高校の同級生の日野健太君と呑んだ時に恩師の立松達朗先生がそろろ定年のはずなので、有志でお祝いの席をもうけてはどうかという話になった。 その後の連絡で既に定年を迎えそして先生を続けているということがわかったが、話通りクラス会をやろうということに。
日野君を中心に前回の幹事の寺田君とともに準備をして、無事にクラス会開催にこぎつけた。自分はメーリングリストの管理やら写真係などを主に担当。
会場は、前回開催の月の雫 赤坂見附店が入っている月世界ビルの7Fにある月の市場。1面が大きなガラス張りになっている開放的個室でまだ明るい光が注ぎ、ちょっとしたホテルのゲストルームみたいで、とてもいい感じ。雑居ビルのなかにこんないい空間があるとは。
記念撮影・先生からのお言葉乾杯から歓談へ。 立松先生はなんと今だに我々全員の名前を出席番号順に暗唱できるとのこと。 実際に出席をとるように順に呼んでくれた。2人顔が一致しない人がいるといっていたが、まあその2人はちょっと容姿が変わったからしょうがないでしょう。
個人的には同級生から「白髪多いな」と言われまくった。白髪増えたねぇ。
それから前回のクラス会から8年、子持ちが増えたなあというのが大きな印象だった。 上が4歳前後というあたりがこのクラスの団塊のようで。 もうパパ・ママ世代なんだねえ。また10年すると教育の話題が多くなるのかな。 そして30年もすると病気と薬の話が増えるんだろうなあ……。
2次会は赤坂見附MTビル1Fの VICTORIAN PUB THE ROSE & CROWN 赤坂店。 皆それなりに酔ってグダグダだけれどそれもまた良し。
写真は整理して Picasa ウェブアルバムにアップロード。 皆いい笑顔だったねというコメントをいただいて、微力ながら準備に携われてよかったなと思う。
先生・出席してくれた人そして幹事さんありがとうございました。
立松先生が退職される予定の2年後が次回開催予定。次回がまた楽しみだ。
Picasa ウェブアルバム上に作成したクラス会アルバムを見たい方で、アクセス方法を聞いていない人は私までご連絡ください。
星陵祭(文化祭)を見に母校の日比谷高校に行ってきた。1991年に卒業してから数回しか来ていないし、特に校内に入るのは卒業以来か。星陵祭の時でもないとなかなか入る機会がないので、星陵祭を楽しみつつ青春の日々を思い出して懐かしんできた。
星陵祭は全クラスが教室で劇を上演するのが伝統。自分たちは2年生の時に「そして誰もいなくなった」を、3年生の時に「カサブランカ」をやったんだよね。舞台セットを作ったりクラスメイトのマンションの集会所を借りて練習したり。
今は星陵祭全体レベルで整理券制度が導入されていて近代化を感じた。自分の学年は9クラスあったんだけれど今は全学年8クラスずつなんだね。今日はガッツリ観るというつもりでは来なかったので、劇はパスして部活動の展示をみたり校舎めぐりをしたりして楽しむことにした。
遅刻坂(新坂)を登りきったところにある通用門(正門は校庭の方なのだ)を通ってアーケード下で受付。4月はこのアーケードにクラス分けが張り出されてたんだよね。
もらったパンフレットは品質の良い26ページオールカラーで豪華。
久しぶりに星陵像「星陵われらあり」とご対面したあと校舎玄関を入って2Fへ。左手の階段を降りると1Fのちょっと広いスペースへ。この小ホールの名前はなんだったかな。奥に進むと物理室や生物室などが並んでいる廊下。
理科実験に使った第2化学室(化学探求部)・巨大な元素記号表がある理科ホール・けん玉クラブの時に使った地学室(天文部)・カエルの解剖をやった第2生物室(生物研究会)などを軽く見て回った。懐かしいねえ。
次は3Fへ上がって図書室へ。1年生の時は図書館近くの14Rだったので、ちょくちょく来て新聞・雑誌を見ていたっけ。広くて個人デスクもある図書室に妻はちょっと驚いていた。
漫画文芸部・写真同好会が展示していた3F社会科ホールは当時の記憶がない。エレベーターができていたので改築されたスペースかな。
3F の体育棟への廊下は今日は立入禁止でドアが閉まっていた。
4F へ上がって次は美術室(美術研究部)。ここは変わってないなー。1年生の選択科目は美術だったので美術の時間はここにきていたんだけれど、ほとんどダラダラしていたんだった。きちんと絵画系の作品つくりを選択すれば良かったな。
茶道クラブの時に半年使った作法室(茶道部)を入り口から覗き、ほぼ入ったことのなかった音楽室の前を通って、一般教室が並ぶ廊下を奥まで。そこから外階段へ出た。
上階から外階段とテラスを通って庭へ出られるのも日比谷高校の校舎の面白いところ。雨でなければ外階段から登下校してた。
あとは校庭(砂が白くて綺麗なのになった?)をちょっと回ってから、川田像と再会。講堂が1994年11月に解体されてしまったのはやはり残念。結局体育棟が改修・増築されただけだった。
今日は資料館も開館していたんだけれど靴を脱いでまでという話になって今日はスキップ。いろいろ校舎を見て回れて満足。卒業してからだいぶ立つけれともそれほどくたびれず変わってないなーというところも多かったな。最初校舎に入った時はあれ、こんな構造だったっけとなった時もあったけれど、どんどん記憶が蘇ってきた。
1982年2月8日の火災があり在学中ずっと廃墟だったホテルニュージャパンが無くなり、プルデンシャルタワーになったことで遅刻坂もずいぶん明るい感じになったな。もう一方の側の山王グランドビル(1966年9月竣工)は変わらず。駐車場出入り口近くにあった自動販売機でよくドリンクを買ったっけ。
Naney (なにい) です。株式会社MIXIで SNS 事業の部長をしています。
※本サイトの内容は個人的見解であり所属組織とは関係ありません。