初めて鹿角にきた妹のために観光として義父が尾去沢鉱山に連れていってくれた。
尾去沢鉱山跡地を利用したテーマパークで、1982年にマインランド尾去沢としてオープン。今年の4月に尾去沢鉱山開山1300年を機として「史跡 尾去沢鉱山」へと名称を変更した。 このあたりは地方のテーマパーク衰退の折、遺産ブームにのろうという魂胆がうかがえる。 チケットはマインランドのままだったりして予算の少なさを感じさせる。
花輪で「黄金歴史街道」というのぼりがあちこちに立っていて何だろうと思ったが、実はこれも尾去沢鉱山に関連する今年4月から9月までの観光キャンペーンらしい。
旧尾去沢鉱山が金山として栄えていた時代、平泉「中尊寺の金色堂」に尾去沢鉱山の産金が運ばれ使われたという言い伝えを基に、秋田県鹿角市から岩手県盛岡市までの旧鹿角街道(鹿角往来ともいう)に平泉までを合わせたルートを金の道「黄金歴史街道」とし、世界遺産「白神山地」までのルートを含め、世界遺産を結ぶゴールデンルートとして十和田八幡平黄金歴史街道と呼びます。-- 十和田八幡平黄金街道記念キャンペーンサイトより。
世界遺産である白神山地と、世界遺産登録を目指す平泉の名を借りてしまうという他人のふんどしで相撲をとる作戦だ。 しかし平泉については今年7月に文化遺産登録延期となりキャンペーンに水をさしてしまっているらしい。
まあそんなことはどうでもよくて、自分たちは夏なのにえらく涼しい今日の鹿角で、さらに息も白くなる気温13℃の石切沢通洞坑コースや鹿角市鉱山歴史館をを見学して満喫してきた。 鉱夫にならなくて良かったとあらためて思う。
また11年前にきた時はただ坑内を回るだけだたアトラクションは「シューティングアドベンチャー」にちょっぴり進化。 レーザーガンでバンバンとエイリアンを撃って、20000点ジャストなら1万円分の商品券、それ以上だと記念品がもらえるということで、本気モードで頑張ってみた。
結果:
スコア: 17060点 ただ今のランキング: 7位
20000点以上ってえらい厳しい設定だなこりゃ。 ちなみに妹は1000点台、義父は200点台だった。ハハハ。
星陵祭 (文化祭) を見に母校の日比谷高校に行ってきた。1991年に卒業してから数回しか来ていないし、特に校内に入るのは卒業以来か。星陵祭の時でもないとなかなか入る機会がないので、星陵祭を楽しみつつ青春の日々を思い出して懐かしんできた。
星陵祭は全クラスが教室で劇を上演するのが伝統。自分たちは2年生の時に「そして誰もいなくなった」を、3年生の時に「カサブランカ」をやったんだよね。舞台セットを作ったりクラスメイトのマンションの集会所を借りて練習したり。
今は星陵祭全体レベルで整理券制度が導入されていて近代化を感じた。自分の学年は9クラスあったんだけれど今は全学年8クラスずつなんだね。今日はガッツリ観るというつもりでは来なかったので、劇はパスして部活動の展示をみたり校舎めぐりをしたりして楽しむことにした。
遅刻坂 (新坂) を登りきったところにある通用門 (正門は校庭の方なのだ) を通ってアーケード下で受付。4月はこのアーケードにクラス分けが張り出されてたんだよね。
もらったパンフレットは品質の良い26ページオールカラーで豪華。
久しぶりに星陵像「星陵われらあり」とご対面したあと校舎玄関を入って2Fへ。左手の階段を降りると1Fのちょっと広いスペースへ。この小ホールの名前はなんだったかな。奥に進むと物理室や生物室などが並んでいる廊下。
理科実験に使った第2化学室 (化学探求部)・巨大な元素記号表がある理科ホール・けん玉クラブの時に使った地学室 (天文部)・カエルの解剖をやった第2生物室 (生物研究会)などを軽く見て回った。懐かしいねえ。
次は3Fへ上がって図書室へ。1年生の時は図書館近くの14Rだったので、ちょくちょく来て新聞・雑誌を見ていたっけ。広くて個人デスクもある図書室に妻はちょっと驚いていた。
漫画文芸部・写真同好会が展示していた3F社会科ホールは当時の記憶がない。エレベーターができていたので改築されたスペースかな。
3F の体育棟への廊下は今日は立入禁止でドアが閉まっていた。
4F へ上がって次は美術室 (美術研究部)。ここは変わってないなー。1年生の選択科目は美術だったので美術の時間はここにきていたんだけれど、ほとんどダラダラしていたんだった。きちんと絵画系の作品つくりを選択すれば良かったな。
茶道クラブの時に半年使った作法室 (茶道部) を入り口から覗き、ほぼ入ったことのなかった音楽室の前を通って、一般教室が並ぶ廊下を奥まで。そこから外階段へ出た。
上階から外階段とテラスを通って庭へ出られるのも日比谷高校の校舎の面白いところ。雨でなければ外階段から登下校してた。
あとは校庭 (砂が白くて綺麗なのになった?) をちょっと回ってから、川田像と再会。講堂が1994年11月に解体されてしまったのはやはり残念。結局体育棟が改修・増築されただけだった。
今日は資料館も開館していたんだけれど靴を脱いでまでという話になって今日はスキップ。いろいろ校舎を見て回れて満足。卒業してからだいぶ立つけれともそれほどくたびれず変わってないなーというところも多かったな。最初校舎に入った時はあれ、こんな構造だったっけとなった時もあったけれど、どんどん記憶が蘇ってきた。
1982年2月8日の火災があり在学中ずっと廃墟だったホテルニュージャパンが無くなり、プルデンシャルタワーになったことで遅刻坂もずいぶん明るい感じになったな。もう一方の側の山王グランドビル (1966年9月竣工) は変わらず。駐車場出入り口近くにあった自動販売機でよくドリンクを買ったっけ。
Naney (なにい) です。株式会社MIXIで SNS 事業の部長をしています。
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