夕方雲行きが悪くなってきて、オフィスの窓の外では雷をともなう雨が降り出した。 家に帰って聞いたところによると、東京都心でみぞれが観測されたらしい。 都心で4月に雪やみぞれが観測されたのは1988年以来19年ぶりらしい。
入学式の日は、桜の木に花が咲くなか、雪が降り続くという不思議な天気の日だった。 都立高校では珍しく講堂がある学校で、入学式はそこで行われたのだけれども、窓から雪が吹き込んで寒い式だったのを覚えている。
あの年以来、4月には雪は降ったことがなかったのか。
歴史ある講堂(1929年 岡田信一郎)だったのだけれども老朽化が進んだため、卒業した後1994年に取り壊されてしまった。 「都立学校には講堂という施設は不要」という都の方針のもと、修復・再建はされない方向になってしまったとか。
以前更地になった跡地を訪れた時には、なんともいえない淋しい気分であった。
店頭や新聞広告などでたまに目にして気になっていたコンピレーションアルバム R35、朝のテレビでまた紹介されいたのが駄目押しになって、昼休みに買ってしまった。
内容は以下。
1972年生まれの自分はまさに、この世代。 収録されている曲が流れていた1991年から1994年頃といえば、高校卒業・浪人時代から大学3年生の頃までにあたる。 アルバイト先の有線放送で繰り返し聞いた曲や、彼女と一緒に見たドラマの主題歌などずばり記憶に残っている曲ばかりである。
シングルやアルバムで持っている曲もちらほら。 しかしながら「単独では買うほどではないけれど、コンピレーションとしてまとまっているならたまに聞きたい」という曲が集まっているという点で、持っていて悪くない1枚である。
[ CD アルバム ]
星陵祭(文化祭)を見に母校の日比谷高校に行ってきた。1991年に卒業してから数回しか来ていないし、特に校内に入るのは卒業以来か。星陵祭の時でもないとなかなか入る機会がないので、星陵祭を楽しみつつ青春の日々を思い出して懐かしんできた。
星陵祭は全クラスが教室で劇を上演するのが伝統。自分たちは2年生の時に「そして誰もいなくなった」を、3年生の時に「カサブランカ」をやったんだよね。舞台セットを作ったりクラスメイトのマンションの集会所を借りて練習したり。
今は星陵祭全体レベルで整理券制度が導入されていて近代化を感じた。自分の学年は9クラスあったんだけれど今は全学年8クラスずつなんだね。今日はガッツリ観るというつもりでは来なかったので、劇はパスして部活動の展示をみたり校舎めぐりをしたりして楽しむことにした。
遅刻坂(新坂)を登りきったところにある通用門(正門は校庭の方なのだ)を通ってアーケード下で受付。4月はこのアーケードにクラス分けが張り出されてたんだよね。
もらったパンフレットは品質の良い26ページオールカラーで豪華。
久しぶりに星陵像「星陵われらあり」とご対面したあと校舎玄関を入って2Fへ。左手の階段を降りると1Fのちょっと広いスペースへ。この小ホールの名前はなんだったかな。奥に進むと物理室や生物室などが並んでいる廊下。
理科実験に使った第2化学室(化学探求部)・巨大な元素記号表がある理科ホール・けん玉クラブの時に使った地学室(天文部)・カエルの解剖をやった第2生物室(生物研究会)などを軽く見て回った。懐かしいねえ。
次は3Fへ上がって図書室へ。1年生の時は図書館近くの14Rだったので、ちょくちょく来て新聞・雑誌を見ていたっけ。広くて個人デスクもある図書室に妻はちょっと驚いていた。
漫画文芸部・写真同好会が展示していた3F社会科ホールは当時の記憶がない。エレベーターができていたので改築されたスペースかな。
3F の体育棟への廊下は今日は立入禁止でドアが閉まっていた。
4F へ上がって次は美術室(美術研究部)。ここは変わってないなー。1年生の選択科目は美術だったので美術の時間はここにきていたんだけれど、ほとんどダラダラしていたんだった。きちんと絵画系の作品つくりを選択すれば良かったな。
茶道クラブの時に半年使った作法室(茶道部)を入り口から覗き、ほぼ入ったことのなかった音楽室の前を通って、一般教室が並ぶ廊下を奥まで。そこから外階段へ出た。
上階から外階段とテラスを通って庭へ出られるのも日比谷高校の校舎の面白いところ。雨でなければ外階段から登下校してた。
あとは校庭(砂が白くて綺麗なのになった?)をちょっと回ってから、川田像と再会。講堂が1994年11月に解体されてしまったのはやはり残念。結局体育棟が改修・増築されただけだった。
今日は資料館も開館していたんだけれど靴を脱いでまでという話になって今日はスキップ。いろいろ校舎を見て回れて満足。卒業してからだいぶ立つけれともそれほどくたびれず変わってないなーというところも多かったな。最初校舎に入った時はあれ、こんな構造だったっけとなった時もあったけれど、どんどん記憶が蘇ってきた。
1982年2月8日の火災があり在学中ずっと廃墟だったホテルニュージャパンが無くなり、プルデンシャルタワーになったことで遅刻坂もずいぶん明るい感じになったな。もう一方の側の山王グランドビル(1966年9月竣工)は変わらず。駐車場出入り口近くにあった自動販売機でよくドリンクを買ったっけ。
Naney (なにい) です。株式会社MIXIで SNS 事業の部長をしています。
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