東北地方太平洋沖地震後、当然固定電話・ケータイとも輻輳のため通話規制が実施されて、電話がかなりつながりにくくなった。 一方でパケット通信は通常通り利用できた(NTTドコモ)のはちょっと驚きであった。 ADSL 接続も問題なく、また海外のサービスである Twitter・Facebook も落ちることなく利用し続けることができた。
このため今回は移動中の人から/へ連絡のとりやすさの順は「Twitter や Facebook 等の SNS > ケータイメール > 通話」であった。
おりしも社内でも Facebook が流行りはじめていたこともあって Twitter とあわせて、特に直接連絡をとることなしに何人かの地震当日夜~翌朝の帰宅状況を知ることができ、一安心できた。逆に利用していない人の安否は次の出社まで不明であった。
もう小規模組織の1次安否情報システムは Twitter + Facebook でいいんじゃないかと思う。 ちょっと比較してみよう。
ケータイメール | 電話 | ||||
安否登録 | Tweet | ウォール投稿 | メール送信 | 通話(発信) | |
安否確認 | タイムライン /リスト | ニュースフィード他 | メールで | 通話(着信)・要記録 | |
複数人に伝わるか | ◎ | ◎ | △ (明示的に送信) | × | |
ケータイから | ◎ | ◎ | ◎ | ◎ | |
PC でチェック | ◎ | ◎ | ○ | × | |
あわせて最新情報収集 | ◎ | ○ | △ | × | |
通信料 | △ | △ | ◎ | ○ | |
事前の使い込み | 必要 | 必要 | 普通に使っているでしょう | 不要 | |
プライベート分離 | ×*1 | ×*2 | ○ | ○ | |
事前連絡先交換 | follow | 友達*3 | メールアドレス交換 | 電話番号交換 |
Twitter と Facebook については普段から活用してないと災害時に急にというのは難しい。また事前に follow しあっていたり友達になっていたりする必要があるので、人間関係がよろしくないと NG。
その辺りがクリアできれば、全員がわざわざ管理職にメールしたり電話したりしなくてもすむようになって手間・時間的にかなり楽になるはず。
なお mixi はそこに構築されているソーシャルグラフの関係上、企業組織内の安否確認としては推しにくいかと(ともだち同士の安否確認としては非常に有効。今回この地震を受けて「友人のログイン状況」という機能も今日リリースされた)。
話し方などで感情や様子を感じるにはやはり電話がベストだが、そもそも安否確認の時点では電話はつながらない前提で一番優先度の低い通信手段と捉えるべきたと思う(電話するなら家族へを優先するし)。
今回の地震が、スマートフォンと Facebook がより普及しているであろう半年後であれば、もっとこれらが活用されていたに違いない。
緒連絡や近況のシェアなどにカジュアルに使うことを目的として使い始めていた Facebook グループを、地震2日後の夜に全社向けメーリングリストで案内したところ、何人も新規登録してきてくれた。 この大震災をバネに、よりコミュニケーションが深まって組織の結束力が強くなるといいと思う。
[ 東日本大震災 ]
[ 東日本大震災 ]
今年3回目の全休。
(計算が合っていれば)残37日(昨年分17日 + 今年分20日)。
東北地方太平洋沖地震による都内の状況(計画停電・食品等の一時的品薄)や東北新幹線運転見合わせで今日からの予定は中止にしたんだけれど、有給休暇はそのままとって4連休突入。
地震後、余震・計画停電の可能性・交通機関への影響・原子力発電所の事故やそれらに関する情報のチェック、停電対応のための電池の確保や、品薄になった食品の必要な分の確保などでしばらく落ち着かない日々が続いた。
しかしそういった状況の中での新しい日常ができつつあるのだろうか、色々慣れてきたこともあり、序々に平静感が出てきたように思う。
天気の良かった午後、出掛けた公園はとても静かでのどかだった。 被災地に比べれば都内はまったくもって平和なんだな。
[ 東日本大震災 ]
[ 東日本大震災 ]
防災・停電対策のため地震後電池関連商品の品薄が続いている。 通勤時にヨドバシカメラをのぞいたり、昼休みに秋葉原をまわってみたりしながらぼちぼち必要分揃えてみた。以下記録。
[ 東日本大震災 ]
本日2011年4月15日をもって株式会社レクサー・リサーチを退職しました。
2001年4月1日に入社してから丸10年。 ソフトウェア製品の開発や、産学連携の研究開発、また受託開発などソフトウェアに関する様々な形態のプロジェクトに参加。 小規模なベンチャー企業ということもあり、プロジェクト/チームリーダから設計・実装担当、計算機管理担当と幅広い業務に携わることができ、さまざまな経験を得ることができました。
入社からの10年、会社としてのビジネスも変化を続けてまいりました。 バーチャルリアリティに関するコア技術を活かし、特に製造業における生産準備の革新を支援するソフトウェア製品の開発やソリューション提供にビジネスをシフトさせてきました。
しかしそれは、情報科学を日常の「情報発信・情報共有とコミュニケーション」に活かしていくような製品・サービスを作っていきたいという私個人の思いから少しずつ離れてきているのかなとも感じるようになりました。 このまま進むのは自分としても組織としてもハッピーではない。 やはりここが転機であると考えるようになりました。
そのような中、偶然というか必然というか、良い出会いとお話がありました。 まさに携わってみたいと思っていたサービスをしている会社。 これは間違いなく潜在意識がもたらしたチャンスの前髪だと感じ、その場で鷲掴みにしました。 何とか前髪に手が届いたのか、評価していただき新しい仕事が決まりました。
昨年末から今年の年初にかけて、「2011年から大きく変化する時代になる」と何人かの著名人が言っていたと覚えています。 そしてまさかの東北地方太平洋沖地震。自然が社会に対して大きな変化のスイッチを強制的に押してしまいました。望む望まざるにかかわらず激動の10年が始まりました。 そして私個人としても新しい10年の1歩を踏み出すこととなりました。
今までの経験を生かしつつ、また経験に縛られずに新しい会社でも頑張ってまいります。
レクサー・リサーチの皆様、関係者の方々、今まで大変ありがとうございました。 とりわけ中村社長には大変良くしていただき、とても感謝しております。 またこれからも末長くよろしくお願いいたします。
[ 東日本大震災 ]
2007年4月6日に Twitter のアカウントを作ったので今日で丸6年。ちなみに mixi は2004年11月19日に登録したので、8年5カ月弱ぐらい。
Twitter に登録
— Naney (@Naney) April 6, 2007
Twitter は平常運転で利用中。
目下、プライベート的なログであったり stream of consciousness のメモであったりを書き出すところないかなと探しているところ。瞬間日記がいい感じなんだけれど、基本特定スマートフォン端末上で閉じることになるのが惜しい。結局 Catch (Catch Notes) もその用途に向かないし、Evernote (PostEver や WriteNote Pro などを利用)もちょっと合わない。protected な Twitter アカウントを作って使えばいいのかなぁ。メインアカウントと同じリストに入れれば公開のと非公開のとを一緒に時系列で見られる利点はあるな。
あと今まではリンクのシェアは積極的にしてなかったんだけれど、IFTTT と HootSuite あたりで Twitter・mixi・Facebook にまとめてシェアできるようにして使っている(記事)。やっぱり一言シェアとかしたい時あるしね。
Twitter 界的には Twitter API 1.1 と利用ルールの変更で、開発終了となった Twitter クライアントも多かった1年だった。長期的にこの方向性が良かったのか悪かったのかはしばらく経ってみないとわからないところだな。
2011年4月16日に株式会社ミクシィに登録してから2年が経った(mixi は2004年11月19日に登録してから約8年5カ月経過)。
きた!
— Naney (@Naney) March 8, 2011
内定の連絡をもらったのが3月8日。3日後の3月11日には東北地方太平洋沖地震が起きたので、もしも少し遅かったらどうなってのかなと考えると、きっかけも含めて月並だけどまあ縁だったんだなぁとは感じている。CS・ユーザーサポート・健全化を担うやりがいのある部署に入り、良きボスの元でメンバとともにユーザーの方々のために取り組めていて日々感謝である。
サービスを作っていくという仕事はもちろん魅力的だけれども、それ以上に CS に取り組んでいくというのはマジ楽しい。今日ユーザーサポートのマネージャーが施策検討の席でメンバに「この規模のサービスのCS部門の戦略を立てるのに参加できる機会なんてそうあるものじゃないよ」って言っているのを横で聞いていて、ウンウンと思ったのである。引き続き、安心な環境を提供し、またロイヤルティを醸成してサービスの価値を日々高めていくぜ。
感動体験、しましょうか。
駒澤大学経営学部の日野健太教授と「今年は宇宙戦艦ヤマト2199にはまりましたねー」という話をしてきた。
日野氏「古代と雪は昔は昔はあんなに目が大きくなかった。あとあの服じゃ仕事しにくいと思う。」 自分「宇宙戦艦ヤマトは内容的に十分いけるので、別に女性キャラクターをあんなにエロくしなくてもいいのにねえ。」 日野氏「いや新しいファンを増やすには必要でしょう。」
われわれの世代は宇宙戦艦ヤマトが脳に摺り込まれているからねぇ、酒がおいしい。
日野氏と2人で呑むのは気がつけば2009年9月以来。東北地方太平洋沖地震直後に氏が1年海外で研究生活をした時の話を聞いたり、昨今の SNS 事情の話をしたり。あとは、氏の人柄かいろいろな組織の代表的な役をされていてそれにまつわる話とか。
今日入ったお店は自由が丘駅近くの金田。結構有名なお店らしくて、カウンターに座った隣りオジチャンが「この間(雑誌の何かのランキングで)東京の西の No.1 になってたんだよ」とか嬉しそうに教えてくれた。
今度駒澤大学遊びに行きたいのでよろしくお願いします。
また今日も地震か。
— Naney (@Naney) March 11, 2011
一発目は呑気な Tweet してた。
その日の Tweetと徒歩帰宅の日記は自分にとっての貴重な記録。こうしてみると日々のつぶやきや日記も大切だなあと改めて思う。あとその時は不謹慎かもしれないけれども残る形で写真ももっと撮っておきたい。
[ 東日本大震災 ]
Naney (なにい)です。株式会社ミクシィで SNS 事業の部長をしています。
nDiki は1999年1月に始めたコンピュータ日誌を前身とする Naney の Web 日記(兼パーソナルナレッジベース)です。ちょっとしたノートは nNote にあります。
※内容は個人的見解であり所属組織とは関係ありません。