星陵祭(文化祭)を見に母校の日比谷高校に行ってきた。1991年に卒業してから数回しか来ていないし、特に校内に入るのは卒業以来か。星陵祭の時でもないとなかなか入る機会がないので、星陵祭を楽しみつつ青春の日々を思い出して懐かしんできた。
星陵祭は全クラスが教室で劇を上演するのが伝統。自分たちは2年生の時に「そして誰もいなくなった」を、3年生の時に「カサブランカ」をやったんだよね。舞台セットを作ったりクラスメイトのマンションの集会所を借りて練習したり。
今は星陵祭全体レベルで整理券制度が導入されていて近代化を感じた。自分の学年は9クラスあったんだけれど今は全学年8クラスずつなんだね。今日はガッツリ観るというつもりでは来なかったので、劇はパスして部活動の展示をみたり校舎めぐりをしたりして楽しむことにした。
遅刻坂(新坂)を登りきったところにある通用門(正門は校庭の方なのだ)を通ってアーケード下で受付。4月はこのアーケードにクラス分けが張り出されてたんだよね。
もらったパンフレットは品質の良い26ページオールカラーで豪華。
久しぶりに星陵像「星陵われらあり」とご対面したあと校舎玄関を入って2Fへ。左手の階段を降りると1Fのちょっと広いスペースへ。この小ホールの名前はなんだったかな。奥に進むと物理室や生物室などが並んでいる廊下。
理科実験に使った第2化学室(化学探求部)・巨大な元素記号表がある理科ホール・けん玉クラブの時に使った地学室(天文部)・カエルの解剖をやった第2生物室(生物研究会)などを軽く見て回った。懐かしいねえ。
次は3Fへ上がって図書室へ。1年生の時は図書館近くの14Rだったので、ちょくちょく来て新聞・雑誌を見ていたっけ。広くて個人デスクもある図書室に妻はちょっと驚いていた。
漫画文芸部・写真同好会が展示していた3F社会科ホールは当時の記憶がない。エレベーターができていたので改築されたスペースかな。
3F の体育棟への廊下は今日は立入禁止でドアが閉まっていた。
4F へ上がって次は美術室(美術研究部)。ここは変わってないなー。1年生の選択科目は美術だったので美術の時間はここにきていたんだけれど、ほとんどダラダラしていたんだった。きちんと絵画系の作品つくりを選択すれば良かったな。
茶道クラブの時に半年使った作法室(茶道部)を入り口から覗き、ほぼ入ったことのなかった音楽室の前を通って、一般教室が並ぶ廊下を奥まで。そこから外階段へ出た。
上階から外階段とテラスを通って庭へ出られるのも日比谷高校の校舎の面白いところ。雨でなければ外階段から登下校してた。
あとは校庭(砂が白くて綺麗なのになった?)をちょっと回ってから、川田像と再会。講堂が1994年11月に解体されてしまったのはやはり残念。結局体育棟が改修・増築されただけだった。
今日は資料館も開館していたんだけれど靴を脱いでまでという話になって今日はスキップ。いろいろ校舎を見て回れて満足。卒業してからだいぶ立つけれともそれほどくたびれず変わってないなーというところも多かったな。最初校舎に入った時はあれ、こんな構造だったっけとなった時もあったけれど、どんどん記憶が蘇ってきた。
1982年2月8日の火災があり在学中ずっと廃墟だったホテルニュージャパンが無くなり、プルデンシャルタワーになったことで遅刻坂もずいぶん明るい感じになったな。もう一方の側の山王グランドビル(1966年9月竣工)は変わらず。駐車場出入り口近くにあった自動販売機でよくドリンクを買ったっけ。
11月最後の日曜日。ダウンコートや冬服などを買いにダイバーシティ東京 プラザに行ってきた。ちょうど1年前の今日もお台場の GU にダウンコートを買いにいっていた。今日見て回ったのは GU・ユニクロ・ガッチャガチャ・Hello Kitty Japan・ソフトレーネ グレーネなど。ファーストリテイリングの大型店が入っているとやっぱり便利。
自分はユニクロでセール中のウルトラライトダウンジャケットを購入。サイズは M。薄手のパーカとダウンジャケットの間のアウターが無くて何か欲しいなと思っていたところだったので。
ウルトラライトダウンシームレスパーカの方が風を通しにくいらしいけれど樹脂加工品で
新品のまま収納していても、時間の経過と共に、空気中の湿度や紫外線、熱や汚れ等により、約3年で劣化(剥離・べたつき)します。
とのことなので敬遠した。値段もちょっと高いしね。
お昼はフードコート。それからフェスティバル広場で「ダイバーシティ東京 プラザ パンまつり selected by TokyoWalker ~リニューアル記念!今しか食べられない名店の限定パンが大集合!~」というのをやっていたので「酵母のパンとシフォンケーキ コボコボ ドライブ・イン(府中市)」のテントで「シフォンケーキ」を購入。ダイバーシティ東 京プラザ で3,000円以上買い物をすると1個もらえるというパンは「東京まるごとチクワぱん」だった。チクワぱん?
ショッピングの途中の一休みに成城石井で飲み物を買って、広場の端に座って食べたシフォンケーキは柔らかくて美味しかった。ちくわの穴にツナの詰まったチクワぱんは夜ご飯の足しにした。
例年通り、朝に箱根駅伝往路を応援し午後に母・妹が来訪するそんな1月2日。
年に2度(今日と明日)のワンセグ活用の日。沿道のいつもの辺りで応援。
水曜日だけれど年始ということで、GTD 週次レビュー。年始なので Someday/Maybe リストをがっつり整理。 もうやらないものはリストから削除。それから Remember The Milk 上で行きたい場所や読みたい本などをそれぞれのタスクのサブタスクにしていたけれど、レビューの時にざっと見ていけないでフラットに並べるようにした。
「すごろく?」みたいな流れになったので人生ゲーム。
2016年に TOHOシネマズ 渋谷で観て以来になる2度目のシン・ゴジラ鑑賞。リビングの事情で音量を下げて観たので細かいセリフとか聞き取れずにざっくり観た感じ。次は大音量かイヤホンできっちり聞きながら観たい。
母が瞼の手術を慶應義塾大学病院で受けることになった。紹介状をもって診察に行くにあたり、道案内と手術の説明を聞くのとで付き添ってきた。
2004年から2005年頃に検索システムの研究開発の打ち合わせで、慶應義塾大学信濃町キャンパスに何度か足を運んだのを思い出した。以前から来ていた気になっていたけれど病院の方は今回が初めてか。
予定どおり少し早めに着いたのだけれど、初診の患者登録で記入するものが何枚かあって思ったより時間がかかった。12:40 過ぎに受付完了。
12:30 に受付し13:30 からの診察時間までにお昼を食べるつもりでいたのだけれど、眼科受付に 13:15 に行くようにとのことで考えていたほど時間が無かった。1号館2Fラウンジでそそくさと持参したパン・サンドイッチを頬張りお腹を満たした。
その後眼科で診察を終え、採血をし、会計が終わったのが 15:50 前。
肝っ玉母さん風の先生で、母も安心して施術してもらえそうで良かった。
母と実家に帰宅したら、自分の好物なスイカを出してくれた。親はいつまでも親なんだなあ。
手術は6月。
4月末に診察してもらった瞼の手術の日。有給休暇を取って付き添い。
落ち着かないからと早めに家を出て慶應義塾大学病院に到着。自動再来受付機で受付後ラウンジで時間を潰し、指定受付時間の10分前に手術受付に行ったら、そのまま看護師に連れられていった。
手術は短時間で終了。瞼を冷やしながら戻ってきた母を先導し、会計し薬を受け取って病院終了。帰りはタクシーで帰ってきたのだけれど、ちょっと揺れる車だったこともあり帰り着いたときは母はちょっと乗り物酔いしていた。電車で帰ってくるよりは楽だったと思うけれど、なかなか難しいね。
乗り物酔いの気持ち悪さはあるけれど、とりあえず手術したところは痛みはまだ無いとのことで一安心。
早めに腫れがひくといいな。
2週間前に瞼の手術をした母の様子見とサクランボのおすそ分けをありがたく頂くのとで、会社帰りに実家によってきた。
手術後数日は痛みはあまり無いけれども腫れたのは大変だったとのこと。その翌週の抜糸は結構あっけなかったそう。自分は術後今日初めて会ったんだけれど、予想していたより傷跡が目立っていなかったので安心した。
Naney (なにい)です。株式会社ミクシィで SNS 事業の部長をしています。
nDiki は1999年1月に始めたコンピュータ日誌を前身とする Naney の Web 日記(兼パーソナルナレッジベース)です。ちょっとしたノートは nNote にあります。
※内容は個人的見解であり所属組織とは関係ありません。